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熊本発 けん爺ちゃんの徒然見聞録
熱帯魚やペット(犬猫)、韓国、飛行機、船、模型、半導体、歴史(日本/世界)、旅行などなどいろんな話題を日記を中心にのんびりアップしていきます(^・囚・^)
プロフィール

けん爺ちゃん

Author:けん爺ちゃん
~序段~          

徒然(つれずれ)
なるままに、日暮らし
電脳箱に向かひて、心に移りゆく
よしなし事を、そこはかとなく
動画にす。

~  ~

初めまして!
熊本にて細々と
生息中のけん爺ちゃんです。

日々の階段から
見える景色を、徒然に書き記して
いこうと思ってます。

AB型の影響なのか、
たま~に歴史マニアな記事に
なっちゃったり、更新のペースが
約10日ごとになるなど、クセが
あるブログですが…

貴方のお気に召したら幸いです
m(_ _)m

コメント大歓迎です☆★
名前とコメントだけで出来ますよ
(^△^)



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2010 GW 瀬戸内トラベリング 後編3 (3/3)
2010 GW 瀬戸内トラベリング 後編2 (2/3) からの続きです。
結局、1時間内の出来事を書いただけで後編2が終わってもーたw


2010年 5月4日(月) 11:31

TS3B2151.jpg
さて、勢いだけで
急坂を登り始めた2匹の男。
普段の運動不足がモロに響きはじめ…

    (;゜д゜) 『ひぃ~はぁ…ひぃ~はぁ…』

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あえなく断念w
スタミナの無さを痛感。
老後には一体どうなってる事やら…


2010 GW 瀬戸内トラベリング 後編のPV (とある名番組風)

仕方なくトボトボと
チャリを押しながら上を目指す。

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坂を登り切り、
吉田松陰誕生地 に到着。お墓がある場所でもある。

そう、せっかく萩まで
来たんだから、お墓参りをしようとやって来たのだ。
どこにあるんかな…。

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TS3B2168.jpg TS3B2170.jpg TS3B2172.jpg
TS3B2171.jpg
あったあった。
今でも参る人が多いのか、 
途中にあった久坂玄瑞の墓よりもクロキが多くて新しかった。
※クロキ…墓に供える生木。
昔、墓参り前にばあちゃんと里山に入って、自生しているクロキを集めたもんやけど…方言かな?


久坂玄瑞1
久坂玄瑞 ( くさか げんずい )
1840 (天保11) 年5月某日、萩藩医
久坂良迪 (りょうてき) の3男として生まれ、
15歳までに家族全てと死別してしまった、身長180cmで美声の秀才。
色男でモテモテで、当初は激しい攘夷思想を持っていた。

吉田松陰と初めて
手紙を交わした時に、そこを戒められ
憤激したものの次第に松蔭の説得力と器の大きさに心惹かれ、松下村塾に入塾し弟子入りした。

TS3B1979.jpg
松下村塾では
高杉晋作と共に 「村塾の双璧」 と
呼ばれるほど才気豊かな青年で、松蔭は玄瑞を
「長州第1、かつ天下の俊才」 であると評し、自分の妹・文を嫁がせた。
(文はブサイクだったらしく、玄瑞は 「妻にするなら美人が良いのに…」 と周囲に漏らしている)

また松蔭は、

   『 (高杉) 晋作は識見はあるが、
      学問はまだ十分に進んでいない。しかし
       自由奔放にものを考え、行動することが出来る人物なので
        学問が進んでいる玄瑞と2人、互いに切磋琢磨させて学びあわせたい』

と手紙に書いている。
そして、世に才のある人は多いが
玄瑞の才だけはどんなことがあっても失ってはならないと書き残している。

禁門の変 蛤御門
しかし、松陰亡き後
長州志士たちのリーダーとして活躍し、
勤王志士たちから 「長州に久坂あり」 とその名を轟かせた玄瑞は、
1864 (元治元)年に京都で起きた禁門の変 (蛤 (はまぐり) 御門の変とも。
長州軍約2千対、薩摩・会津などの幕府軍約3万との戦い)
で自決。享年25。

明治維新後、
西郷隆盛は木戸孝允にこう言った。

   『お国の久坂先生が今も生きておられたら、
     お互いに参議だなどといって威張ってはいられませんがなぁ』

久坂玄瑞が明治維新後まで
命永らえていたら、日本の歴史は今とは変わっていたかも知れない。
それほどの人物だったのだ…。 

いきなり略歴でしたw
で、吉田松陰のお墓には何と…

TS3B2175.jpg TS3B2173.jpg TS3B2174.jpg
線香とライターが。
何とまぁ…手回しの良いことw
ありがたく使わせていただきます。

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お参り。
当時の激動の時代と今、
国を憂う当時の人々の気概と、現代人のそれ…
色々思いを馳せながら。あまり書くと右と思われそうなので省略するけど、
爺ちゃんはあくまで公平・客観的・自称中間派。イメージとしては秦郁彦さん。

ちゃんと撮影後にお参りしてるんですよw

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TS3B2183.jpg TS3B2184.jpg
近くにある銅像。
ペリー艦隊を見つめている姿をイメージしたらしい。
そうそう、松蔭の略歴後半がまだだったなぁ。

それでは!
松蔭。25歳。
密航を試み国禁を犯した罪により、萩にあった野山獄に投獄された。

野山獄2
松蔭は武士だったので
上牢で待遇が良い野山獄だったが、
密航に同行した金子重輔は商人だったため、下牢の岩倉獄に
収容されてしまい、劣悪な環境の中で2ヶ月後に病死してしまった。

身分の違いによる待遇の差。
松蔭は何度も重輔の待遇改善を藩に願い出たが、
聞き入れてはもらえなかった。

   『同じ罪なのに、なぜ身分が関係あるのか…!』

野山獄
当時、野山獄には
48年間も獄中にいる老囚人、大深虎之助 (74) や 
富永弥兵衛 (37) をはじめ男囚人10人、女囚人高須久子 (37) の、計11人が入獄していた。

ただ1人の女囚人、高須久子は
300石取り高須家の未亡人で、身分の違う者 (芸能関係者)
座敷に招いた事を藩に咎められ、身分にこだわらない主張を通した事で投獄の身となっていた。

高須久子
松蔭と同じく
身分にこだらわない考えを持つ久子。
同じ環境で過ごす中、封建的な身分制度に批判的なこの2人は
お互いに惹かれ合う何かを持っていたのだろう。2人が交わした恋慕の歌が残されている。
松蔭の生涯でたった1度の恋だった。

入獄当初、軽く見られていた
松蔭だったが、その才能と真摯で純粋な人間性が
他の囚人たちの尊敬を集め、前代未聞の獄中教育が始まった。

孟子の講義、日本外史の講義、俳句会の催し…

多忙の中、更なる勉学にも励み
在獄1年2ヶ月の間、492冊もの本を読破した。
やがて囚人のみならず、獄役人や司獄官までもが松蔭の講義を聴くようになっていた。

松下村塾
そして自宅謹慎となり
松下村塾を受け継いだ松蔭。そこには
「3尺離れて師の影を踏まず」 などという儒教的雰囲気はなく、
師弟共に同行し共に学ぶという姿勢があった。松蔭のこんな手紙が残っている。

   『村塾が、礼儀作法を
    簡略にして規則もやかましく言わないのは、
     そのような形式的なものより、もっと誠朴忠実な
      人間関係を作りたかったからである。

      病気の者がいれば、互いに助け合い
       力仕事が必要であれば皆が力を合わせる。塾の増築を
        大工を頼まず皆で完成させたのも、そのあらわれである』

松下村塾 
教科書も受講料も
時間割もなかった松下村塾での講義。
ポイントは

・封建的な身分を否定した開かれた校風
・個人の才能を開花させる講義方法
・討論を多用した自由闊達な教育
・師も弟子も、共に学び合う姿勢
・知識を行動に移す (知行合一)


昭和の始め頃、存命中の弟子に
聞き取り調査した証言集が残っている。
※証言者…渡辺蒿蔵、横山幾太、冷泉雅二郎

吉田松陰2
『先生は背は高くなく痩せ型で、顔は色白。天然痘の痕があった』
『沢庵をよく食べる行動家で、畑仕事や米つき、撃剣も時々やった』
『性格は、怒る事なく親切。誰にでもあっさりとして付き合い、丁寧な言葉使いの人だった』
『厳冬でも薄着で過ごしていた。指には筆タコがあり、石の様に固かった』

『学者になってはいかん、実行が大事だとよく仰っていた。
  また広く浅くでは無く、1つの学問に精通しなさいと仰っていた』
『夜だけ塾に通う者もおり、先生は睡眠時間が少なく講義中によく居眠りしていた』
『朝6時からの講義では10人ほどがおり、3~4冊の本で講義した』
『情熱的な方で、講義中内容によっては涙を流し、声を震わせ書に涙をしたたらせながら、
 またある時は、目尻裂け声大にして怒髪逆上し、それを見た弟子も同じ情を共有していた』

松陰先生は罪人だからと、塾に行く事を嫌う父母が多く、読書の稽古なら
 まだしも、御政事 (政治) の事を議論するなどただでは済まぬぞ!と忠告された』


在籍者は名簿がないので不明だが、
約300人前後、1日20~30人が来たそうなので
熱心に通った主要な塾生は約30人前後だったのだろう。
萩の乱を起こした明治政府参議、前原一誠などは10日間しか通っていない。

TS3B1994.jpg
そして、罪人の松蔭の塾に
通うとは何事じゃ!と塾生の父母のほとんどが反対していた。
高杉晋作は、親に内緒で通っていると久坂に言っている。要は厄介者に近寄るなという事だ。

そして、この頃から
松蔭の破滅的とも思えるような、過激な言動が目立つようになる。
この時期、尊皇攘夷を取り締まり幕府の権威を立て直す 安政の大獄
大老、井伊 掃部守 直弼 (いい かもんのかみ なおすけ) (45) のもと行われていた。

井伊直弼
松蔭は、天皇の承諾を得ずに
日米修好通商条約を締結し、京都で志士の取締りを指揮する
老中、間部 下総守 詮勝 (まなべ しもうさのかみ あきかつ) (56) の暗殺を企て、
長州藩に武器提供を願い出るが却下され、再び野山獄に投獄されてしまう。

間部詮勝木像
あまりの無謀な計画に
弟子を含め賛同する者はほとんどなく、弟子からも自重を求められるが
松蔭の意志は固かった。これからの時代を、国を変えるのは武士ではない!
農民や町民たちだ!

   『草莽崛起 (そうもうくっき)!』

※志を持った在野の人々こそが、日本の変革を担う原動力になるという意味。
  草莽 = 「一市民」 「在野の民衆」    崛起= 「立ち上がれ」


民主主義の原型とも言うべき
先進的な考えだったが、この時代はやはり武士の時代。
弟子を含め、この考えが周囲の支持を得る事は難しかっただろう。

元々罪人として
周囲から厄介者扱いされていた松蔭。
この頃、塾生のほとんどが離れていった。塾生の親たちが関わりを恐れたからである。

1859 (安政6) 年 10月16日

奉行所2 奉行所1
江戸の奉行所へ送致された後の
取調べに対し、弁明の機会があったにも関わらず
老中暗殺計画を詳細に自供した。しかし、あくまで未遂であり
意見を伝えるのが目的で殺意はなかったと供述。長州藩に迷惑が掛かる事を心配したのだろう。

当初、遠島が妥当ではないかという
意見も幕府内にあり、その情報は松蔭の耳にも入っていたようだ。
高杉晋作への手紙にも、まるで遠島が決まったかのような書き方をしている。

牢獄
状況を楽観的に捉え、
処刑されるほどの罪ではないとタカをくくっていたようだ。
高杉晋作はそれを聞き、ひとまず安心して長州へ帰国していった。 

しかし、井伊直弼は甘くはなかった。 
口書 ( くちがき。供述書) の読み聞かせで、殺意を
否認した陳述が採用されていない事を知った松蔭。抗議しても
聞き入れてもらえず、しかも他の尊皇攘夷派の者たちは、既に死罪になったと聞かされた。

留魂録
…松蔭は全てを悟った。
もはや絶望的。万にひとつも助かる見込みはない。
遺書や手記を書き始め、死罪の覚悟を決める。10月25日に完成した
手記 「留魂録」 は5000字にも及び、その書き出し部分には、

身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちるとも 留め置かまし 大和魂

とある。家族宛には 「永訣書」 を残した。 
江戸にある長州の藩邸では、弟子4人を含む
藩関係者が、遺体引取りの手順 (これとて絶望的だった) や、引取りの際に役人に
渡す賄賂、牢内で松蔭の面倒を見てくれた人へのお礼金を用意するなど、ドタバタしていた。

回向院2 回向院
通常、罪人の遺体は
小塚原刑場にある回向院 (えこういん) という寺に葬られるが、
役人にまかせると適当に処理するので、どれが松蔭かもわからない無縁仏状態になってしまう。
賄賂を渡せば埋葬をしてくれるのだ。

弟子たちとしては、無縁仏だけは
何としても阻止し、出来るなら引き取って
自分たちの手で埋葬したいとの思いがあったのだ。

10月27日 朝

奉行所の裁定の日。
松平 宗秀(まつだいら むねひで) (50) 、久貝 正典( くがい まさのり) (53)、
石谷穆清(いしがや あつきよ) の3奉行が列席する中、松蔭に裁定が下された。

裁定

   『…吉田寅次郎、その方死罪!打ち首に処す!』 

※“松蔭”は号 (ごう。学者・文人・画家などが本名のほかに用いる名) です。

そして午前10時、刑執行。
享年30。松蔭の首をはねた首切り役人の
山田浅右衛門は、後日

   『松蔭は、自分が斬った多くの
     罪人の中で最も態度が潔かった』

と語っている。

刑執行
弟子の2人 (尾寺新之允、飯田正伯) は、
評定所の門前で松蔭を載せた駕籠が来るのを待っていたが、いっこうに出てこない。
そのうち付近の露店の者から、重罪人の駕籠が裏門から出て行ったとの情報を聞かされ、
あわてて伝馬町の牢屋敷に走る。

獄卒 (出所者) の金六という
赤穂出身の協力者から、既に松蔭の刑は執行されたと聞き、
2人は唖然とした。さっそく3人で遺体引取りについて相談を始めた。

※賄賂額、および松蔭の遺言による贈与金内訳
  1860 (万延元) 年で現在価値計算 1両14,800円。1両は4分。

・金六へ 2両
・獄役人4人へ1両ずつ 計4両 
・獄卒への祝儀 3両2分
・囚人堀達之助へ 1両
・囚人堀江克之功へ 1両
・牢名主 (囚人の長) の沼崎吉五郎へ 3両
・回向院での永代供養証状発行 5両

計19両2分 (288,600円) 全て長州藩の公金。


牢獄1
そして、獄役人たちは
賄賂を受け取っておきながら、
遺体の引渡しは絶対まかりならぬと拒否。

   役人 『屍は丁重に扱うので、安心なされい』

             尾寺 『いえ、自分たちの手で
                   葬りたいのでございます』

    役人 『え~いもうよい!去れっ!
          おぬしたち、身寄りの浪人との事だが、
           どこかの藩の者であろう。まさか長州では!?』

藩との約束で名前は出せなかった。
詰問し出した役人に、厄介な事になると2人は引き下がり、
29日午後2時、2人は伝馬町の牢屋敷を訪れて正式に面会して身分を明かし、
洗いざらい事情を打ち明けて、堂々と遺体引渡しを迫った。そして、役人も了解して
午後4時に小塚原の刀剣試験場で引き渡す、と約束してくれた。

小塚原刑場
刀剣の試験に使うという名目で
ひそかに遺体を持ち出して来るようだ。
弟子2人に木戸孝允と伊藤博文も加わり、4人になっていた。

   『これが、吉田氏の屍でござる』

やがて棺桶に入れられて
松蔭の遺体が運ばれてきた。大きく目が見開き、
髪が乱れて頬にまといつき、血で汚れていた…凄惨な形相だった。
体の部分は素っ裸。首をはねる前に、衣服が全て剥ぎ取られるからだ。

   役人 『何をするか!?』

            木戸・尾寺 『いえ、先生の首を
                     この柄杓の柄で繋げようかと…』

    役人 『重罪人の屍は、後日検視があるやも知れぬ。
         接首はやめて頂きたい。自分たちが処罰されてしまう』

墓
やむなくそのまま引き取った。
そして橋本佐内の隣に墓を立てたが、幕府は志士の墓標建立を許さず
後日破壊されてしまった。そして3年後に、高杉晋作ら弟子の手で別の場所に改葬されている。
現在、山口県萩市と東京・世田谷区の松陰神社内、回向院内の3箇所に墓がある…。

略歴どころかグロも含んだ
尻切れトンボ的な内容になってしまって…気を取り直して旅に戻ります。

11:52

TS3B2186.jpg TS3B2187_20110220003708.jpg
墓の裏手にある
維新ロードに向って突入。
坂道なので勢いをつけながら…

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ロケット加速。
C男は速いの~ぅ。元気があってウラヤマシイ。
どらどら、爺ちゃんもぼちぼちゆっくり行きますかの。

TS3B2188.jpg
あれっ?
歩くの早くないっすか?w

TS3B2189.jpg TS3B2190.jpg 1005しまなみ 016
TS3B2193.jpg TS3B2192.jpg TS3B2194-1.jpg
あっキジだ。
昔爺ちゃんの爺ちゃんが猟銃で
キジを仕留めて、よく剥製にしてたけど…この辺は自然が豊かやねぇ。

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TS3B2197.jpg TS3B2196_20110220004810.jpg TS3B2199.jpg 
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車もまったく通らない中
勢いにまかせて暴走する男2人。
たしか前編の向島でも、こんなのがあったようなw

もしT・Nがこれを
見たら 「2人とも車にはねられたらいいのに」 と言うに違いないw

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萩市内に戻って来た。
ぼちぼち腹が減ってきた…どこかにいい食事処はないかなぁ。

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アーケード入り口の
萩おみやげ博物館 で少し休憩。
酒がずらりと揃えてある。兄の土産に買ってったら喜ぶだろうなぁ…
と思いつつも、チャリ道中の中荷物を抱え込む余裕も、宅配を頼む気力もないw

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ふぅ…生き返るなぁ。
おばちゃん、迷い込んだ2匹に
親切に接してくれて、どうもありがとう!
飲みながら店内をさろく、トンデモない熊本人でごめんw    ※さろく…熊本弁で “ウロウロする”

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12:22

そして、偶然見つけた
天蔵 へ。レンタサイクルっぽいチャリが止まっている。
うちらのと違って、新しくて乗り心地もよさそうやのぅ。

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天ぷら刺身定食を
ガッツガッツ胃に流し込む。ん、ん、んめぇ~  (゚д゚)ウマー

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すぐ隣には
天蔵と同じような建物の、野菜とれたて市場もあった。
さて、メシも食った事だし、アーケードの中をのんびり観光しようかのぅ。

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昭和のかほり漂うおもちゃ屋。 
ファミコンソフトを現役で売ってるなんてw 懐かしすぎるw

                        C男 『おい、あそこに刀の店があっばい』

   (゜д゜) 『おぉ~寄ってみっばい』

           おっちゃん 『どうですか?刀は…
                      興味があるなら買ってみるかい?』

                       C男 『一般人ですけど、買えるんですか??』

            おっちゃん 『登録はうちでやるから、
                       そのまま持って帰れる帰れる!
                        いいか、刀というのはだな…』
シャキーンッ!
           おっちゃん 『ほら、ここ…鞘に収める時、
                      刃を下に当てないようにこうやってしまうんだよ…
                       写真は撮るなっ!!』

     (;゜Д゜) 『は、はひっ!?』

刀剣店 
豹変する態度にビックリw
結局何も買わないまま店を出たけど、
この手ほどきを受けたC男は、後日 (近日公開?) …

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何かに目覚めていたw
えー、さっさと進まないと
この見聞録、終わりそうにないので先を急ぎますw

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最終訪問地である
とある場所を探して、
萩の中を行ったり来たり…。

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ホントに古い街並みだ。
昔ながらの建物を、住まいの一部として
キチンと組み込んで生活を営んでいるのが凄いと思う。

あっ、あれじゃないかな??

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13:19

高杉晋作旧宅 に到着。
入場料100円。受付けは少し奥にあった。
ページ数の関係もあり、高杉晋作の略歴は超略です↓期待してた人すいません↓
それでは!
高杉晋作は1839 (天保10) 年8月20日に
200石取りの長州藩士、高杉小忠太の長男として生まれ、
19歳の時松下村塾に入塾、24歳の時上海へ渡航し2ヶ月滞在、
太平天国の乱を見聞きする。その時購入した拳銃を後日坂本龍馬に与える。

高杉晋作
高杉は155cmと小柄で
本人もそれを気にしており、直立して撮った写真は現存しない。
しかも長刀を好んで愛用していたので、刀を引きずって歩いているように見えたという。

25歳の時に
奇兵隊を組織し、四カ国連合艦隊が
下関を砲撃した時は、長州藩代表として交渉。彦島の租借を頑として拒絶した。

高杉晋作2
列強が求める領土の租借が、
どういう結果になるかを中国で見てきたからであり、
後日伊藤博文は、

   『あのとき高杉が
     租借問題をうやむやにしていなければ、
      彦島は香港になり下関は九龍半島になっていただろう』

と言い残している。
1867 (慶応3) 年4月14日、
肺結核により没。享年29。辞世の句は

おもしろき こともなき世を おもしろく

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TS3B2276_20110220232052.jpg TS3B2277.jpg TS3B2278.jpg
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ここも中には
入れなかった。文化財によって
入室出来る出来ないが分かれていて、基準がよくわからんなぁ。

13:27

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再び萩の迷路の中へ。
西にある海岸に向かって進みたいけど、
どっちに向ってるのか方向感覚がさっぱりわからないw 

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231.7mもある問田益田氏旧宅土塀。
うん、まさしく土の塀。竹で編んだ骨組みを
想像してたけど、間に瓦?を挟み込んで補強してるっぽいなぁ。

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山口県立萩高校。
オサレな校舎やのぅ…街の景観と見事にマッチ。

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陶箔迎賓?と書かれた
謎の大豪邸と、旧福原家萩屋敷門。
江戸中期の門らしいけど、何でこんなに真っ赤っ赤?

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そしていよいよ、
近付いてきた 海岸 ゴール…?
この人だかりは一体…

   参加者 『ヒソヒソ…自転車…?』

そこはかとない場違い感w

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ここは何と
萩往還マラニック大会のゴール地点だった。
マラ “ニック” て何だ?そういえばゼッケン着けた人たちが
たくさん萩市内にいたなぁ。

35kmの部、70kmの部、140kmの部…
140kmとかあり得んw チャリでも苦労してるのに…ぶっ倒れてまうがな。
何事もなかったかのように、松林の中を海岸へ。

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萩の海岸

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1005しまなみ 013
ザッパ~ン… ザザ~ン…

   (゜д゜) 『…着いたのぅ…』

              『あぁ…着いたな。
                 広くて…気持ちえーねぇ』

    (゜д゜) 『んだんだ』 

東奔西走の 
萩横断…達成感にほろ酔い。 
さて、チャリを返しに行こうか。何か城跡っぽいのが見えるなぁ。 

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萩城址 だった。
海岸に突き出た指月山のふもとにある城跡で、
1874 (明治7) 年の廃城令でぶっ壊されたようだ。

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萩八景遊覧船
何だか楽しそうやのぅ…。
追い越しざまに撮っていく様子は、
向こうからしたらさぞ変人に見えたに違いないw

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14:26

チャリを返して萩を去る。
情緒溢れるいい街だったなぁ。
訪れてない名所もまだまだあったし、

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駆け足的散策に
なったけど、また…来るよ!
今度はゆっくり歩きで巡ってみようかのぅ。 

…えーとですね、あの、その…
これで終わらせる予定だったんですけど、
このあと更に洞窟話…となるとアレなので、ここで一旦…中断します!

続編をあえて名付けるなら、
「2010 GW 瀬戸内トラベリング おまけ編」
としましょう!w

それでは、長文すんませんでした!
次回は、会社の話を1話はさんだあとに、おまけ編を書く予定です。
…来たんです、はい。遠方から色んなヒトが…。

それでは、お楽しみにっ!




2010 GW 瀬戸内トラベリング おまけ編 に続く。



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この記事に対するコメント

はねられればいいのに。

てか、C男に刃物を持たせるでない
【2011/02/24 09:40】 URL | T・N #- [ 編集]


>T・Nさん

リアルなコメントw
いよいよ明日出発ですばい。一緒に行けなくて残念なり。

高校の時からC男は変わってなかねぇ…(笑)
【2011/03/04 03:03】 URL | けん爺ちゃん #- [ 編集]


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