FC2ブログ
熊本発 けん爺ちゃんの徒然見聞録
熱帯魚やペット(犬猫)、韓国、飛行機、船、模型、半導体、歴史(日本/世界)、旅行などなどいろんな話題を日記を中心にのんびりアップしていきます(^・囚・^)
プロフィール

けん爺ちゃん

Author:けん爺ちゃん
~序段~          

徒然(つれずれ)
なるままに、日暮らし
電脳箱に向かひて、心に移りゆく
よしなし事を、そこはかとなく
動画にす。

~  ~

初めまして!
熊本にて細々と
生息中のけん爺ちゃんです。

日々の階段から
見える景色を、徒然に書き記して
いこうと思ってます。

AB型の影響なのか、
たま~に歴史マニアな記事に
なっちゃったり、更新のペースが
約10日ごとになるなど、クセが
あるブログですが…

貴方のお気に召したら幸いです
m(_ _)m

コメント大歓迎です☆★
名前とコメントだけで出来ますよ
(^△^)



カテゴリー



カレンダー

09 | 2018/10 | 11
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -



天気予報


-天気予報コム- -FC2-



最近の記事



最近のコメント



月別アーカイブ



最近のトラックバック



FC2カウンター



ブログ内検索



RSSフィード



リンク

このブログをリンクに追加する



スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

元寇(蒙古襲来)  ~さまよえる戦士たち~ 中編(3部作)
前編 からの続き)


※「高画質を視聴」 や、HQの 「高画質に切替え」 はヘンなリンクに飛ぶので無視して下さい。

1274年(文永11年) 11月25日 

      ドォーン!
             ドォーン!   
                     元寇博多来襲
                                          ジャンジャンジャンジャン…!   
             ワアアアア~!!

   季長 『おおっ!
         もう戦が始まっておるぞ!』

ようやく博多に着いた季長たち。
海岸では、今津浜を皮切りに博多、箱崎方面
   (大宰府を目指す連合軍主力

百道 (ももち) 、麁原 (そはら) 、鳥飼 (とりかい) 、赤坂方面
   (別働隊 (高麗軍約5000人が中心) 。主力の大宰府侵攻の牽制役

などで既に
戦いが始まっていた。

文永の役侵攻図3 uvs100206-021.jpg uvs100206-022.jpg
uvs100206-009.jpg uvs100206-012.jpg uvs100206-010.jpg
文永の役侵攻図4
同じ肥後国からは
菊池氏 (菊池) 、相良氏 (さがらし。人吉) 、
大矢野氏 (天草) 、葉室氏 (はむろし。阿蘇) 、江田氏 (えたし。玉名) 、
井芹秀重(鹿子木庄)などの土豪、武士団が一族をあげて駆け付けている。

そのほか九州各地の
御家人、計約5000人が集結していた。

迎撃のため
赤坂に急ぐ季長たちの前に、
同じ肥後国御家人 菊池武房きくち たけふさ。
別名重基
)(29) が、一族郎党130余騎と共に現れる。

菊池武房
聞けば、赤坂にいた
約2000人の高麗軍に対し手勢を二手に分け突撃、
蹂躙し追い払い、指揮官クラスの首2つを討ち取って引き返す途中らしい。

   季長 『菊池殿、見事な働きぶり!』

                   武房 『おう、
                         蒙古何するものぞ!だ。ガッハッハッ!』

討ち取った首を掲げ、
意気揚々と大宰府へ引き揚げて行った。
 (ちなみに、弘安の役でも身内から犠牲を出しつつ
   手柄を立てた菊池氏だったが、鎌倉幕府からの恩賞はなかった。
    これが、後に菊池氏を九州最大の反幕府勢力にする原因のひとつとなった


           季長 『くそ!
                今に見ておれ。俺だって…!』

   藤資光 『と、殿…
          我が一族は少数。あまり功をあせると…
            間もなく味方も来ますし、戦功の証人を立ててから合戦を…』

武房に撃破された
高麗軍は二手に別れ麁原、鳥飼方面に退いたが、
やがてまた合流し麁原に陣を構えていた (現在の福岡市早良区の祖原山) 。

Untitled9-1.jpg

  季長 『馬鹿者!
        戦は数ではないっ!
          気迫でやるのだーっ!!』 

                    藤資光 『む、無茶なっ!
                           あっ、と、殿ぉーっ!!』

アセリに対抗心も加わり、
季長は鬼神も避けよと鳥飼方面に
たむろし始めた連合軍に向かって、遮二無二突撃する。

    「弓箭 (きゅうせん。合戦) の道、先を以て賞とす。ただ駆けよ」

             ~蒙古襲来絵詞 前巻より~


当時の鳥飼は、
松林と干潟の境目の地。
足元が悪い中、季長は塩屋の松林の中を敵に向かって突進した。

これぞ
先懸 (さきがけ。先頭で敵に
突っ込む行為
) 精神。一族が慌てて後を追う。

ジャーン!!   ジャーン!!

uvs100122-001.jpg
鳴り響くドラ。
“包囲せよ”の合図だ。

モンゴル人指揮官が
部隊に命令を下し、突っ込んで来る季長らをどっと取り囲む。
接近戦を避けて距離を置き、雨のように大量の矢を浴びせかけたのだ。

   季長 『うぬぅー!
         卑怯なりー!堂々と勝負いたせーっ!』

恐ろしき
トゥルーマの戦法が始まった (前編 参照) 。

そして、
更に恐るべきモノが頭上から降ってきた。

uvs100206-008.jpg

 ズドーン!!  ヒュ~~~~~…  ドガーン!!

uvs100206-016.jpg uvs100206-014.jpg uvs100206-015.jpg
てつはう
あちこちで
炸裂する謎の黒い玉

新規661

                    『ブヒヒヒーン!』

   季長 『な、何じゃこれはーっ!?』

竹崎季長 竹崎季長3-2
季長は右肩と
 (赤い矢が刺さっている。季長がここも負傷したと後年描き足したらしい

左胸、左膝の3箇所を弓で撃たれ負傷。
 (背中に矢を3本背負っているが、これは江戸時代の描き足し

馬が、突き刺さる
矢の痛みと物凄い爆発音に
耐えかねて、飛び跳ねるように暴れる。

季長と三井資安 (旗指し持ち役) 、
藤資光 (従者) の3人が馬を御しきれずに落馬した。

そして、弱った獲物を
追い詰めるかの如く集団で
取り囲む連合軍。絶体絶命のピンチ!

          季長 『くっそ~…!もはやこれまでか…。
                母上、手柄も立てずに先立つ不幸をお許し下さい…』

   通泰 『お助けいたーす!』

20100104_479411.jpg
何と、危機に陥った
季長らの前に肥前国白石
現在の佐賀県杵島郡白石町) の御家人
白石通泰 (しらいし みちやす) が100余騎の兵と共に現れ、敵を撃退してくれたのだ。

三井三郎資長(姉婿)連合軍撃退す-2
助かった…!

後の論功調査で
彼らは、お互いの戦功の証人になった。
一族以外の証人がいないと、戦功と認められなかったからだ。

同じく、首に矢が貫通し重症を負った
筑後国 (ちくご。現在の福岡県南部) の御家人光友又二郎の証人にもなった。

-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・ コラム④ あらゆる違い -・-・-・-・-・-・-・-・--・
両軍軍装比較図
日本の武士たちは
連合軍との間に、ハード面ソフト面共に
根本的な価値観や戦法の違いがあるのに気付いた。

まず
ハードたる装備面。

弩(携行型) 弩(地上設置型)2 投石器
弩 (携行型)             弩 (地上設置型)          投石器

速射性抜群のすこぶる短き弓、
弩 (ど。横倒しにした弓。通常の弓より飛距離と
貫通力が強い
) 、石を飛ばす投石器などの初めて見る武器類。

 (毒矢も有名ですが、
   個人的には高麗軍が特製扱いでごく少量に使用したのみと思っています。
    多くの御家人が矢傷を負いながら、単なる負傷で済んでいるので大半は普通の矢だと)


なかでも、もっとも
驚いたのは謎の黒い玉 “てつはう” などの火薬を使用した武器。
直径16~20cmの球型で、重量は4~10kg (約40%が火薬量、残りが容器の重量) 。

「鉄砲をば飛びし暗くなし、
  鳴り高ければ心を迷わし肝を失ふ。
    目くれ耳塞て忙然として東西を知らず」   (八幡愚童訓)


てつはう2 てつはう4 てつはう3
相当な煙と
爆発音を伴っていたようだ。勢いよく周囲に
飛び散る破片と、中に仕込まれた鉄片の散弾効果によるダメージも見逃せない。

こうした武器類は
もともと中国が由来であり、モンゴル軍団が
各地を征服していく過程で、こうした新兵器を巧みに運用していた事がわかる。

次に、
ソフト面の戦法。

武士たちの戦いは
個人戦が基本であり、戦闘時の判断は
各個人が決めそれぞれが思い思いに戦った。

また、個人の働きを
周囲に認知してもらわないと恩賞の対象にならないので、
戦場で派手に目立つ事を心掛けた。甲冑が色鮮やかなのはそのせいだ。

そして戦いには
守るべきしきたりがあり、
作法にのっとって初めて合戦が開始される。

E98E8CE58089E6ADA6E5A3AB.jpg
それに対して、
連合軍の戦いは集団戦であり
司令官が全体を統率し、太鼓やドラの合図で
思うがままに部隊を動かす。指揮命令系統がはっきりした近代的な戦法だ。

個人が目立つ必要もない。

合戦の作法である
鏑矢かぶらや。合戦の前に飛ばす音が出る矢) は

「蒙古一度にどっと笑ひ」   (八幡愚童訓)

と連合軍の大爆笑を誘い、
しきたりである名乗りを上げれば
何悠長な事やってんだ、とその最中に大勢で
取り囲まれ、足や手を掴まれて馬上から引きずり降され、討ち取られていった。

uvs100206-013.jpg
   何たる卑怯な振る舞い…!
  礼儀作法も知らぬ蒙古めが…!

しかし、世界的観点から見ると
戦に作法うんぬんを持ち出す日本側のほうが変であり、
生きるか死ぬかの戦場では、あまりにも甘く悠長な姿勢であった。

これを昔話だと笑う事が出来るだろうか?

元寇博多来襲2
武士たちは、
戦いに殺し合い以外の意味も持たせ
勝利の過程や中身 (潔さなど) を重視していたが、
そんな日本の常識を持ち出しても、世界には通用しなかったのだ。

結果が、勝者が
全てであり、戦場では卑怯もクソもなかった。

振る舞いが潔くても、
作法に通じていても負ければ何の意味もなく、
生き残るためには、まずは勝たなければいけないという意識がそこにはあった。

朝青龍
最近引退した朝青龍も、
そういう気持ちだったに違いない。

特に当時は、負ければ
その後家族が殺され、自分の国が消滅してしまうのだから。
世界各地でそうしてきたモンゴル軍団だからこそ、それを1番理解していたのだろう。

半導体関連の仕事をしている爺ちゃんは、
この日本人の思い込みと、それによって世界から取り残されていた
この戦いは、半導体の実情とそっくりで昔話とは思えないのである…。

-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・--・


夕方

日本側は福岡市南方にある
水城 (みずき。664年に天智天皇が築いた
対朝鮮防衛用の城壁
) に向かって後退を開始した。

少弐 景資2 
日本側の前線司令官
少弐 景資 (しょうに かげすけ)(28) が
手勢の500余騎と共に最後まで踏みとどまり、殿 (しんがり。
退却戦で一番後ろを守る危険な役
) として退却する味方を援護していた。

その時、
12~3騎の騎兵と
80余の兵を連れた連合軍の部隊が迫ってきたので、
景資が青い甲冑を着た大将と思しき者に矢を放つと、見事胸に命中し落馬した。

副将劉復亨射倒す
これは
連合軍副司令官、劉復亨 (りゅう ふくこう。漢人) であった。

こうして、
戦闘初日の日が暮れ、
連合軍は船に戻っていった。



                  『おい、何だ?
       ザワザワ…      蒙古の奴らのあの戦い方は?』

   『大きな音がする黒い玉といい、           
     大勢で掛かってくる野蛮さといい、      ザワザワ…
       普段の戦とはまったく勝手が違うわい』



水城に撤退した
生き残りの御家人たちは、興奮
冷めやらぬ様子で今日の戦闘を語り合っていた。

無題62
博多の町は焼き払われ、
箱崎八幡宮も焼失し、今津、百道原、
赤坂方面では大規模な略奪と破壊行為が行われ、
御家人の妻子を含む大勢の人々が連れ去られていた。

                   『殿…。お怪我は大丈夫ですか?』

   季長 『うむ、これしきの傷、気にもならんわ!
        それにしても…昼間の戦は、まるで異国での
          出来事のような、凄まじき戦であったのぅ…』

                    『…』

          『…!
            い、戦はまだまだこれからじゃ!
              明日こそ蒙古どもにひと泡吹かせてやろうではないか!』

1067990.jpg
一方、
こちらは連合軍の船上。 
諸将が集い、軍議 (ぐんぎ。作戦会議) が開かれていた。

後に、 “官軍不整” と呼ばれる程
諸将の意見はまちまちで意見がまとまらず、
特に総司令官 忻都 (きんと。モンゴル人) と
高麗軍司令官 金方慶 (きん ほうけい)(62) が激しく対立する。
 (元史日本伝、高麗史金方慶伝、『高麗史節要』 巻十九、二十五参照
  

   忻都 『前々から武勇の国とは聞いていたが、
         彼らがこれほど強いとは思わなかった…』

         金方慶 『忻都殿…?
                まさか、臆したのではあるまいな?
                 今この期を逃がしたならば、再び攻め込むのは
                   困難になりますぞ!背水の陣の覚悟で再度戦うべきだ!』

   忻都 『わかっておる。
         しかし、我が軍の矢は既に尽きてしまったではないか。
           劉殿も負傷した。兵も疲れており、敵も日増しに増えるだろう。

            …長居すれば、ますます難儀になる。
               引く時は速やかに引くのが、最善の策ではないか』

撤退5
日本側の意外な抵抗に遭い、
もはや戦意を喪失し疲れ果てていた諸将は
やがて忻都の意見に同調し始め、翌26日の撤退が決定した。
外は小雨交じりの雨。

11月26日 夜明け前

志賀島、能古島方面に
いた連合軍の船団は次第に風雨が強まる中、
夜明け前に続々と撤退していったが、風に煽られ、操船は困難を極めた。

陸上側に吹き寄せられ
岩場に激突する船、船体が破損し沈没する船…。

lrg_16615536.jpg
船体が外洋航行に
向かない (船の背骨たる竜骨がない構造
高麗様式で、かつ急造の欠陥船だった事が被害に拍車をかけた。












海岸2 海岸1

    季長 『こ、これは…?』

海岸から、連合軍の船が消えていた。
浜辺には船の残骸らしき木材が散乱している。

                    『天が、我々に味方してくれたのだ!』
   

          『あは…あははは…
            ホントかよ…!信じらんねぇ!』

   『エイエイ、オ~!!!』

この時の模様を、
八幡愚童訓はこう述べている。

   「さる程に夜も明けば、朝海の面を見遣るに蒙古の船一艘もなく皆々帰けり。
         之を見て、こは何事かと…(略)…只事共覚えぬ在様哉とて、泣笑色出」

(現代語訳)
   合戦の翌日の朝、海の方を見るとモンゴルの船は一艘もなく皆帰ってしまった。
     どうしたことか、今日はいよいよおしまいかと嘆いていたのに、と泣き笑いをした。


志賀島には
一隻だけ連合軍の船が
航行不能状態で停泊していたが、近付く者はいなかった。

無題54
やがて船から兵が顔を出し
助命を求めてきたが、助けようとする者もいない。

この状況を見て、
船の指揮官は生け捕られ殺されるくらいなら…と、
自ら海に飛び込んで入水自殺。残された兵約220人
 (海上から拾い上げたり、漂着した海岸から
    この船に逃げて来た兵士を含む数と思われる


は、全員日本側に降伏。

うち50数人は京都へ連行され、処刑。
残った者も水城で全員ことごとく処刑された。


文永の役での連合軍の被害
  約3万9700人中、約1万3500人 (戦死、溺死、捕虜合計)
   損耗率 約34%

(この文永の役は、
  連合軍の目的 (威力偵察だった等) や 、
  “神風” が実際に吹いたのかなど、昔から意見が分かれていますが
    個人的には、威力偵察 (一時的に攻めて敵の戦闘能力を見定める行為) ではなく
     大宰府周辺の制圧と、その後の交渉を有利に導く事を目的とした
      れっきとした占領部隊であり、また神風は実際に吹き、その正体はシラ
       (別名アイタバ風。冬季に吹く北西風で、天候の急激な変化と共に起こる強風
         だったと思っています)

根拠は、
 ・威力偵察にしては準備と費用を掛け過ぎている。
 ・連合軍の矢がすぐに尽きたのは、日本側の意外な抗戦に予想外の消耗を強いられただけ。
 ・暴風雨があったとの記述が、東国通艦など連合軍側の資料に明記されている。
 ・季節的に (11月26日) 冬季に入る寸前。
 ・多くの船が陸上側 (南東) に吹き上げられたという記述が多数ある。
   (勘仲記、高麗史、薩摩日記前編巻五・国分寺文書等)
  
    ※ジョン万次郎が出漁中に遭遇した嵐や、
      幕末の函館戦争において旧幕府軍の当時日本最大・最強の軍艦
       開陽 (排水量 2590t) を陸に吹き寄せ座礁、破壊させたのもシラです。


こうして、
文永の役は互いに
多くの犠牲者を出して決着した。    

   景資 『皆の者、
         此度の戦、誠にご苦労であった!この勝利は
           神仏のご加護、そして皆の働きのおかげである!』

                 『ザワザワ…我々の働きが認められたぞ!
                   借金してまで博多に駆けつけたけど、返済出来そうだな!』      

           『ザワザワ…ここに来るまでの
             経費も食費も、御公事 (みくうじ。幕府が御家人に
               課す負担
) で全部自費だからなぁ…俺も金策に苦労したよ』 

                     『ザワザワ…俺の恩賞はどこの領地かな?!』

Untitled17.jpg
リアリストたちがざわめく。

江戸時代の武士とは異なり、 
鎌倉幕府と御家人たちは “ご恩と奉公” という
損得関係で成り立つギブ&テイクの現実的でクールな関係だった。

いざ鎌倉!と
御家人が駆けつけるのも、
確実なご恩があっての話なのだ。

   景資 『それぞれの戦いぶりの
         報告は確認した。恩賞については後日
           鎌倉から知らせがあるので、それを待つように!』

              季長 『母上…やりましたぞ…(泣)
                    わざわざ博多まで駆け付けた甲斐がありました…!』

こうして、
季長は達成感を胸に、故郷へ帰っていった。

武家屋敷2
しかし、 
間もなく発表された文永の役での
戦功者120余人の中に、季長の名前はなかった

          季長 『何ぃ~!?
               そんな馬鹿な!?景資殿はあの時
                 戦功を認めてくれたではないかっ!?』

幕府に
問い合わせてみると、
何と報告が届いていなかった事が判明した。

   しゆえの御房 『季長や…
              手柄を挙げたとはいえ、所詮お主は
                猪の如く突っ込んで負傷し、逃げ帰っただけではないか』

一族の長老格、
しゆえの御房が季長に恩賞を諦めるよう諭すが、
そこには季長に対する軽蔑の念も込められていた。

        …季長が言うほど
    どうせ大した武功ではないのだろう。
     その証に、恩賞も出ぬではないか。
   武勲も挙げられぬ、一族の恥さらしめが…


     季長 『うぬぅ~!
           納得出来ん!!
            よし、こうなったら…っ!!!』

後編 に続く。






…ここまで長くなるとは(;- -)
急遽3部作に変更します(汗)
 
次回でラストです…!



日本ブログ村に参加しました。
クリックして頂けると今後の励みになりますので、
気が向いた方はポチッと押してやって下さい m(_ _)m


ブログランキング・にほんブログ村へ にほんブログ村 動画紹介ブログへ にほんブログ村 歴史ブログへ にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログへ  


スポンサーサイト

テーマ:雑学・情報 - ジャンル:学問・文化・芸術


この記事に対するコメント

登場人物の息遣いが聞こえてくるような生き生きとしたドキュメントぶりですね。
しかも我が国からの目線が、他国からの目線とともにくっきりと描かれているところが素晴らしいです。続きが楽しみですねぇ(^^♪
ブログ村に登録ですか。歴史ブログランキングの強力なライバルの登場ですね(^ω^)
もちろん応援しますよ(^o^)丿
【2010/02/09 20:00】 URL | 黒田裕樹 #qvcTopkk [ 編集]


こんばんは(^-^)/
うぁー、すごい大作ですね (・o・;)
季長の後から自分で矢を描き足すところがいいです。

自分は歴史が苦手ですけどけん爺ちゃんさんの作品だと楽しく読めます ('-')b
けん爺ちゃんさんが作った歴史の教科書だったらもうちょっと歴史を好きになってたかも?

続きをたのしみに待ってます☆
(↑けん爺ちゃんさん風に☆使ってみましたw)
【2010/02/09 21:57】 URL | ぽてち #iw7OdkEg [ 編集]


>黒田裕樹さん

途中で急に視点が切り替わるなど、
読んでいて混乱しかねない厄介な記事だったと思います(;^^)
玄人である先生に楽しく読んで頂けるとは… 
ありがたい事です(;-人-)

はい、登録しました☆
先生の影響が大きいです(笑)
年に1~2回しか歴史の記事を書かないのに、
ライバルなんてとんでもないですよ(;-o-)
【2010/02/17 19:26】 URL | けん爺ちゃん #- [ 編集]


>ぽてちさん

あっ、兄さん!
こんばんは(^ワ^)

そこは強調したかったみたいですね。
自己主張が旺盛かつ巧みでないと
この時代の武士は生き残っていけなかったんでしょうねぇ(´ `)

多分私が教科書を作ったら
人生を誤ったほうへ導く内容になると思います(笑)

ヒマな時にでも続きをどうぞ☆ w

今から夜勤なので
明日訪問しますね~ (;^△^)
【2010/02/17 19:35】 URL | けん爺ちゃん #- [ 編集]

承認待ちコメント
このコメントは管理者の承認待ちです
【2015/04/14 01:10】 | # [ 編集]


この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
トラックバックURL
→http://3kstyle.blog104.fc2.com/tb.php/144-ad514c4e
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。